2010年4月24日土曜日

司法行政の信用失墜

文科省中央教育審議会に報告法科大学院74校入試2010年度志願者2万4014人
新司法試験
合格率低迷
入学志願者減少

司法とは何か?
犯罪製造機か?

司法は検事総長の言う「法に依る支配」を確実なものにするための機関である。
私は何一つ証言させても貰えず、大阪府警にパソコンからNTTアダプター、マウス、ディスプレイ、プリンターまで持って行かれ、戻って来たプリンターの中の家宅捜索礼状のない捜索の直前入れたばかりのインクが全カラー切れていた。プリンターのコードもなくなっていたので、電話すると、大阪府警は、誰かを家に侵入させて、押入れに私のものではないコードを置いて行った。私は古いプリンターを買ったので、パラレルコードしかついてないのに、新品同様だったのに、古い汚れた使い古した白いコードが入っていた。プリンターには、パラレルコード以外は付いて来なかった。

私が社民党を名誉毀損したという証拠に私の家の写真が写してあった。
第一回公判で私が見せられた写真の内、数枚は季節外れであり、2008年10月24日に写したものではなく、それ以後、家宅侵入して写したものである。
私の壁にあった写真その他は、既に何度もレイアウトを変えているのに、公判第一回時の配置の壁の様子を写してあった。
出窓に置いてあった植木鉢は、殆どがカランコエで、40近くの植木鉢があったが、現在はそのカランコエに何かをかけられて、皆駄目にされてしまったため、4分の1くらいしかなく、それを写した写真で、季節も公判中に家宅侵入されて写された写真だった。
Bedの上に置いたパソコンの写真があった。そこにはプリンターは置いてなかった。
布団が写っていたが、その当時買ったものではなくそれから何ヵ月後に買ったもので、家宅捜索時に写すことは出来ないし、家宅捜索のときにその写真に写してあるようにコードをきちんと巻いてBedの上で写真は撮っていない。

私が直ぐにそれらのことに気付いて家宅侵入に依る写真だと言おうとしたら、裁判官が言わせなかった。しかし、第一回公判では、証拠写真を検察が見せた場合、被告の証言を求めるということが法律上の手続きである。被告の証言を遮るのは、法に違反する行為である。

次にその写真を見た時は、弁護士が持っていた書類にあったものである。3回目に見たのは、弁護士が被告人質問をする時に見せたものである。この3枚が皆違う写真であった。その都度、私の家に家宅侵入して写した写真である。弁護士が見せた写真にはプリンターが写っていた。プラスティックの紙を支える部分が写っていなかった。その理由は、なくなったからである。家にないから写せない為、プリンターのその部分が写らないように撮られた写真である。3度写真を変えたということを弁護士は了解しなければ出来ないことである。これは、私の家に家宅侵入して写した写真だということを弁護士が納得し、こうした司法と行政の犯罪行為に手を貸したという証明である。

これは公判中に起こったほんの一つの不正である。
パソコンを並べた写真が証拠になる事はない。並べた写真で名誉を毀損することは出来ない。そんなことは素人ににでも分かる。弁護士が私を無罪に出来る公判の証言として引き出すべきものではない。貴重な時間を検事に有利になるように使うのは私を罪に陥れる意図があって行われた質問としか思えない。

私は弁護士に一つの証拠も出してもらえなかった。4回も名前が変わった被害者の社民党の調査もして貰えなかった。何一つ私のためにしなかったのに、70万円もの経費がかかるという。

こうした不正を法律関係者が何時から始めたのか?
公判中も中傷の限りをNET中で展開し、それを止めなかった司法行政。
加害者を被害者に、被害者を加害者にする法は法ではなく、裁判は裁判ではない。

人気がない法科大学院?
ついこの前始めたばかりである。
人気がないとメディアが書く、何故政治家はそのことを知らなかったのか?
何故無駄ばかり作り出すのか?
自公政権も、民主社民国民新党政権も、無駄遣いが得意である。
先を読めない政治家が毎日どれだけのことを国民に強いているか。

私に自公政権、社民党民主党政権が行ったことは、おそらく法科大学院、司法行政の信用を著しく信用失墜させ、NETに残っていた国民を恐怖に陥れるものであっただろう。
私は正しいことしかして来なかったし、今は詩を書くこと、ギターの練習をすることが一番だと思っている。
詩を書きたいから、こうしてNETに残っている。
死ぬまで残る。
200歳まで生きる心算である。
どうか殺さないで下さい。

【上海時事】上海万博事務局の徐威スポークスマンは23日の外国メディア向け記者会見で、万博の主要施設である中国館とマスコット海宝(ハイバオ)に対する盗作疑惑をそれぞれ否定した。

歌も盗作建築物も盗作と言う。
似ているものはある。
技術は盗むものである。
貴方が窓を拭く、貴方が速くよりきれいに窓を拭く、すると何故?と誰かが思い、貴方の窓を拭く様子を見る。
そしてその技術を盗む。
日本の着物は、チャイナドレスから、ひらがなも中国の漢字から来ている。
盗作である。
中国が大きくなる、日本が小さくなる、その時ひねたものの見方をせず、自分達がいた席をきれいに拭き、笑顔で立ち上がり後方に去ることである。
決して経済だけがすべてを左右するものではない。
経済よりも優先しなければならないのは、国民の幸福である。

下は、昨日チャイナネットに投稿したコメントである。

成田悦子      2010-4-23 14:43:56      
人間は経済活動を優先する。多くの国家が現在、わが国の経済がどうであるか、今後も経済は発展するか?といったことばかりに囚われている。経済で何かが変わることはない。Bさんが100円から1万円の収入に増えたからといって何が変わるだろうか?変わるものがあると考える国と個人は、おそらく自らと国家衰退が目の前に迫っていることを知っているのである。国際的地位の低い国は恥ずかしいだろうか?国際的地位が、国家の経済状態に因るとしたら、財布の中身次第で人を判断するのに似て、恥ずかしいことである。日本に教訓はないし、世界の何処にも教訓はない。中国は中国として国民が仕合せな一生を送ることが出来るように努力すればいい。経済は「経て済んだもの」である。国家が大切にしなければならないものは、経済ではないと私は考える。経済発展には限界がある。科学技術には限界を設けなければならない。人が生きて死ぬまでの間、一つの国家に所属する。一人の生を悲しい結末で終わらせないよう国家は人を支えれば良い。それが国家の仕事であるし、必要以上に国家が何かを行ってはいけない。

9:08 2010/04/24 土曜日